観察台湾

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カイロ宣言

「中央研究院」…。

 
ご存知の方もおられるかもしれませんが、台湾の最高学術研究機関で、1928年に大陸の南京で設立されました。なので厳密に言うと中華民国の最高学術機関でしょうか。現在は台北にあります。南港という、中心部からは若干離れた場所です(詳細を知りたい方は、Wikipediaにも日本語で「中央研究院」の記事があります)。
 
 
 
唐突でしたが、この中央研究院には様々な研究セクションがあり、各セクションごとにホームページがあります。
 
 
 
私も時々ホームページを覗いてみるのですが、その中でも「近代史研究所」(中国近代史です)と、「台湾史研究所」のホームページにはよくお世話になっています。特に近代史研究所のホームページでは論文や一部書籍を無料でダウンロードできるので、大変重宝しております。
 
 
近代史研究所のホームページのトップに「毎日一圖」というコーナーがあり、日替わりで珍しい資料が公開されています。中国史にあまり興味はないが、日本近現代史が好き!という方でも、なかなか楽しめるものがあると思います。
 
 
最近面白かったものから、ひとつご紹介。
 
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~米軍が台湾に投下したカイロ宣言~
 

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1943年12月3日、「カイロ宣言」が公表された。カイロ宣言は第二次大戦中、同盟国の首脳による重要な会議の一つであり、「カイロ宣言」の法的地位については今でも争いがあるが、国家指導者がはじめて国際的なサミットに参加した事の意義自体は疑いもなく中国近代外交史上の突破点である。
 
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中央研究院近代史研究所 Institute of Modern History, Academia Sinica

 
 
 
 
ところで文中の「争い」というのは何かと言いますと…
 
 
カイロ宣言では以下の通り、中華民国に台湾を返還すると明示されています。戦後のサンフランシスコ平和条約で、日本は台湾の主権を放棄しました。しかし、サンフランシスコ平和条約、その後締結された日華平和条約では、台湾を誰に返還するかが示されていません。(サンフランシスコ平和条約第二条b 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。)
 
 
台湾独立派の人々の一部は、これを論拠の一つとして「台湾地位未定論」を唱えます。つまり、戦後台湾の法的地位は未定のままであるから、台湾は中華民国の一省として中国に復帰した(「光復」)わけではない、という風に中国と台湾を離して考える論理のようです。
 
 
そこで、カイロ宣言は法的に果たしてどういう意味を持つのか、が争いとなるようです。カイロ宣言がただの雑談記録に過ぎないならば、台湾の主権はやはり明示された形では、どこにも復帰していない、返還されていない、ということもできるからです。
 
 
ちなみに、独立派の友人との何気ない会話の中で、私が、「光復後の台湾は…」と言ってしまったことがあります。すると彼は、「光復じゃない、戦後の台湾は、と言ってくれ!」と、冗談混じりに怒ってました(笑)
 
 
 
参考
 
ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ
 
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
 
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」
 
 

 

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