ウヨクのつぶやき(旧観察台湾)

元々は台湾の政治、文化、芸能など、台湾ネタを扱っていましたが、今は気ままな浪漫派ウヨクの思いつきを書いています。たまに、台湾にも触れていきたいです。

祖国の行方と集団的自衛権…と台湾

 

先日、 中国人「台湾の未来は俺らが決めるよ。君らも中国人でしょ?文句ある?」と題する記事で、自由時報のコラムを紹介した。

 

中国時報は今日、「台湾の将来は、誰が決めるか」という題でコラムを掲載。国際社会における大国と小国の関係を論じていた。

 

コラムは、「台湾の将来」を台湾人のみで決めるのは不可能だと主張する。台湾が独立を強行するにせよ、中国が統一を強行するにせよ、である。台湾が独立をするためには、アメリカの顔色をうかがいながら、中国との戦争も覚悟せねばならない。中国が併合を強行するにしても、アメリカの様子を窺いつつ、台湾との戦争で犠牲が出ることを覚悟しなければならない。いずれにせよ、小国は大国の思うがままになされてきたのが歴史だ...。

 

集団的自衛権に関する憲法解釈を、政府は閣議決定で変更しようとしている。来月6日までの閣議決定を目指しているらしい。

 

祖国防衛のために自国民が血を流すことを禁止する憲法を、解釈で変更する。その憲法は、アメリカが作った。解釈変更に、もしアメリカが反対していたとしたらどうか。今の時点までこぎつけることは、難しかっただろう。アメリカが同意したことで、憲法解釈の変更ができる。アメリカが同意したということは、アメリカの世界戦略に、解釈変更の内容が合致するということだ。その世界戦略に日本の国益が合致するかどうか、私には判断がつかない。

 

国防のために、アメリカが押し付けた憲法をアメリカの同意を得て変更し、アメリカの世界戦略に参画する。
それ以外に選択肢はないのかもしれない。しかし、あまりにも悲しい、悔しい。皮肉に満ちた現象だ…。

 

ちなみに、コラム全文は以下の通り。

http://www.chinatimes.com/newspapers/20140619000965-260109

 

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〜劉屏のコラム 台湾の将来は誰が決めるか〜

 

第二次大戦後、澎湖諸島中華民国に返還された。澎湖諸島のこの運命を決めたのは誰か?答えは、英国首相チャーチルだ。

 

蒋介石チャーチルルーズヴェルトはともにカイロ会談に出席。台湾、澎湖、中国東北地方は戦後、中華民国へ返還されると取り決めた。しかし、最初の宣言草案には澎湖諸島は入っておらず、内容は以下のようなものであった。「日本が窃取した中国のすべての土地、特に東北地方及び台湾は、須らく中華民国へ返還される。タイプライターデ完成された草案原文は次の通り。「including particularly Manchuria and Formosa, shall be restored to the Republic of China」。

 

この草案に、チャーチルは万年筆で修正を加え、「及び澎湖諸島」等の字を加筆した。内容は次のようになった。「東北地方、台湾、澎湖諸島等は須らく中華民国へ返還される。」(such as Manchuria, Formosa and the Pescadores, shall be restored to the Republic of China)。

 

チャーチルの学校の成績がどうだったかは知らないが、ただ歴史と英文には優れていた。もしかすると彼のそうした素養が、彼が澎湖諸島も元から中国のものであったと知る理由であったかもしれない。

 

台湾の将来は、「台湾2300万人民が共同で決定する」のか「台湾人もそのうちに含む全中国人民が共同で決定する」のか。もし前者ならお尋ねしたい、台湾はなぜ今に至るまで決定を下していないのか?つまり、陳水扁総統が言った、「出来ないことは出来ないのだ。私の任期内で、国号を台湾共和国に変更することは、出来ない。李登輝前総統も彼の12年の総統の任期内で、やはりそうしなかった。たとえ今日彼に総統の職を執らせても、出来ないだろう。私はそう思っている。」

 

一方の同意のみでは難しい

 

もし後者なら、中国大陸13億人はいつ自分のことを決定するだろうか。更に海を超えて、台湾とともに台湾の将来を決定するか。

 

1938年、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどの四カ国は「ミュンヘン協定」に合意。チェコズデーテン地方をドイツに割譲した。チェコは2.8万平方キロメートルの土地を失った。しかし、この会議に出ることは出来なかった。そして、ズデーテン地方の300万人以上の人々も、自分たちの将来について口を出す権利を持てなかった。

 

翌年、ソ連とドイツはポーランドを割譲、ポーランドは消滅する。ズデーテンの将来もずデー店によって決められたわけではない。ポーランドの将来も、ポーランドによって決められたわけではない。

 

後世の歴史もまたそうでなかったか。1983年、レーガン大統領の令一下、米軍は二日間に渡りグレナダを掌握した。全世界が米国を避難したが、グレナダの命運は已に決められていた。1989年、ブッシュ大統領の命令の下、米軍は15日間パナマの元首ノリエガを拘束。パナマ人の命運を変えてしまった。「狂暴」(米国のフレ灘出兵の際の作戦名は「Fury」であった)であろうが、「正義」(パナマ出兵の際の作戦名は「Just」)であろうが、すべて米国が他国の将来を決定した。

 

朝鮮戦争勃発後、トルーマンはすぐさま第7艦隊に命令し、台湾海峡を巡回させ、台湾は危機を脱した。台湾の前途は当時、台湾が自分で決めたものであったか。

 

台湾の全面的な民主的選挙の後、米国の民主党クリントン大統領は任期内にこう言った。「台湾人民の同意を得なければならない。共和党のブッシュ大統領の政権に変わってからは、次のような言い方に変わった。「両岸人民の同意を得なければならない。」。再び民主党オバマに変わってからは、まだ任期が始まる前に態度表明した。「台湾海峡の膠着状態に関する、いかなる解決方法も、海峡両岸の人民が受け入れられるものとならねばならない。」ブッシュ路線を踏襲したといえる。

 

最近では、国務省東アジア・太平洋担当事務次官のラッセルが4月上院で、「両岸人民の期待と合致しなければならない」と挨拶した。

 

北京は「全中国人民で決定する」と言っている。見てみるとこれは台湾の選択肢を制限したものだ。なぜならば、台湾独立は大陸人民の同意を得なければならないからだ。しかしもうひとつの角度から考えてみると、北京の言い方は実は台湾の民主と自由を保証したものである。というのも、統一は台湾人の同意を得なければならないからだ。

 

決して自分で決定できるのではない

 

分裂国家の将来は、往々にして一方のみにより決定するのは難しい。米国も自らの身を以って、それを立証している。1861年、南部各州は南部の将来を自分たちで決定しようと考え、連邦を離れ、南部連合を組織した。しかしリンカーン大統領の考えは違っていた。討伐を命令し、結果的に4年にわたる血なまぐさい内戦を戦うこととなった。であるから、今日の中国大陸から訪問者は、リンカーン記念堂へ行き(彼の姿を)仰ぎ見なければならない。台湾独立を主張する者は、ワシントンDCへ行ったら必ずジェファーソン(独立宣言の起草者)の記念堂へ行き、しっかりその姿を仰ぎ見なければならない。

 

面白いのは、台湾の自決を強調する人は、往々にしてアメリカによる保護を期待する人だということだ。斯様な人物は、腹の中では台湾の将来を台湾人だけで決めるのはありえないと知っている。また一方で、北京では必ず次のように言われる。「台湾の問題は、中米問題の核心であり、最も敏感な問題である。」これは、台湾の将来の決定にあたっては、「台湾人をその内に含む全中国人民」のみならず、米国の態度も見なければならないということ同じである。

 

北京が首を縦に振らねば、台湾の独立は成らないよう。ワシントンDCが首を縦に振らねば、大陸による統一は成らない。すくなくとも、現段階の状況はこうだ。

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裏切られた台湾

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